みなさま、ごきげんよう。
今回の平日クラスでは「愛」についての質問もありました。
「私は上に優しい言葉をかけられたことはない」
と言うと、
「え〜、寂しくないですか」
と言われたので、
「そうでもないなぁ」
と改めて思い、愛についてお話ししました。
ヴィンテージラインとアストラルラインをご存知ならばお察しかと思いますが、
横隔膜より下で表現される「愛」
と
横隔膜より上の「愛」
は質が違います。
横隔膜より下(アストラルライン)で表現される愛は、
一般的にみなさまがよく耳にする愛です。
「対象があってのもの」
子ども、動物、パートナー、愛用品、国、場所、学び、神、信仰対象など
愛する対象があるものです。
これは限定された愛でもあります。
自己感情によって愛することがなくなることがあるからです。
横隔膜よりも上(ヴィンテージライン)で表現される愛は、
よくイケている聖者が「あれ」「これ」「全て」と表現しているもの。
愛する対象が「個」として存在していないものです。
これは無限の愛でもあります。
自分がどんな状態でもこの愛は常にあらゆるところに存在しています。
私たちは生まれた時から、
この「限定されたアストラルラインの愛」を求め、
様々な努力をしてきました。
愛されたいと思い泣き
愛されたいと思い我慢し
愛されたいと思い学び
愛されたいと思い身を粉にし
愛されたいと思い表現し
愛されたいと思い頑張り
愛されたいと思い気を引き
愛されたいと思い裏切り
愛されたいと思い批判し
愛されたいと思い賞賛し
愛されたいと思い同意し
愛されたいと思い主張し
愛されたいと思い画策し
愛されたいと思い着飾り
愛されたいと思い笑顔になり
愛されたいと思い怒り
愛されたいと思い控えめになり
愛されたいと思い真似し
愛されたいと思い嘘をつき
愛されたいと思い正しさを主張し
愛されたいと思い悪いことをし
愛されたいと思い傷つき
愛されたいと思い傷つけ
あぁ、
とにかく私たちの日常のパターン化された行動全ての根底に
愛されたい
という思いがあるのです。
そう、誰もが愛されたいのです。
しかし、アストラルラインにいる限り対象がありますから、
安心することはありません。
一瞬愛を得たと思っても、
次にその愛を必要とする対象が出現すれば、
愛の供給は減るから(減る様に感じてしまう)からです。
ですから、私たち人間は常に自分が望む愛を得るために
自分が愛を得られると思う方向に努力を重ね続けます。
それは、傍目に見れば滑稽かもしれませんが、
誰もが繰り返してしまうことです。