さて、
「自分を正しい側に置いておきたい」
これは、二元性のこの世界の永遠のテーマかもしれません。
わたしもつい気を許すと、
こちらの「チーム正しい」にこっそりと入ろうとしている自分を見つけるので、
「もしもし、またそちらに行こうとしていますよ」
と、声をかけます。
「自分は正しい」
という主張をついついしたくなるのが私たちです。
しかし、その「正しさ」こそが自分自身を縛っていることはエネルギーの滞りに如実に現れます。
「(善悪関係なく)何かに対してこだわる」
という事はエネルギーの世界では同列なのです。
自分の「正しさ」を主張したくなることに象徴される如何なる感情の揺れも、
自由自在に周波数移動をする事を阻みます。
いつも居る(こだわっている)周波数帯から変容する事が出来なくなるからです。
(ほぼ、感情の世界・アストラルから出られない)
だからこそ、先人たちは、
「無」
の境地を まず手に入れなければならないと説いていたのでしょう。
エネルギー観察をして、「正しい主張の滞り」に気がつくまで、
わたしの感情は誰よりも大きな波のうねりのように留まることを知らず、
荒れ狂う大海の様に猛威を振るっていました。
そして、その感情の波から生み出されたエネルギーで周りを動かそうとしていました、
その甲斐あって、周りに少し変化が訪れても、
さらに感情のうねりはすぐにやってくるので、
どんどん主張しさらに疲弊していきます。
感情が納得するまで「行動できるエネルギー」が感情のレベルには大して無いからです。
(そしてそれは念となる?😱)
私は、自分の正義を主張して主張して主張しまくったのです。
思い通りの世界に変えられるのではないかとさえ思っていた馬鹿げた幼い時期がありました。
そして、倒れそうになった時に、(ミッドライフクライシスの時期)
「もう、こんな争いは止めよう」
と思いました。
私の正義は私の物差しでの正誤であって、全体のものではない
という事に薄々気付いていたからです。
それでも自分の感情は巧妙に正義の側に立っていることを水面下で主張してくるので、
その策略にはまって感情の中にうっかり入り込んでしまう
というループを繰り返すことに注意しなければなりません。
さて、今日も様々な周波数の波に心地よく乗っていきましょう!
無限に広がる世界への探求が始まります。