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身体というお道具、そして、観察可能な複数のエネルギー体考察 4

2021 7月10日(土)北町公民館2階和室(わら舞)

地に足を着けなおす 1510

医療従事者クラス・エーテル塾 1100

舞扇をお忘れなく。

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三島由紀夫の「金閣寺」のなかの一節

『吃りは、いうまでもなく、私と外界との間に一つの障碍を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が、私の内界と外界との間の扉の鍵の様なものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。一般の人は、自由に言葉をあやつることによって、内界と外界との間の戸を開けっぱなしにして、風とおしをよくしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。鍵が錆びついてしまっているのである。』

 

平野啓一郎の「本心」のなかの一節

『自分では、その都度うまく蓋をしたつもりだった体の隅々の孔が、結局、開いたままで、僕の内側に斑な空虚を作り出していた。僕は、外からの侵入者を警戒するあまり、僕自身が零れ落ち続けていたことに、気づいていなかったのだった。』

 

内と外の美しい描写ですね。

私に溢れるような文才があれば、

この様に、

エネルギーから美しい旋律を生み出し表現することができたのに、、、

と思います。

 

内と外を見つけたけれど、

次は、表面と深部の美しい文章。

どなたか見つけたら教えてください。

 

 

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さて、
前回意識の位置について個別の説明をした。

これは、人生の中でパターン化した傾向性の現れであり、

動かすことは可能だ。

固定化されているよりも、

現代社会の中ではむしろ意識の領域の縦横無尽な横断を可能にしておく方が

すんなりと生きられるのかもしれない。

しかし、大抵は自分の位置を認識することなく、

パターン化したエネルギー状態で過ごしている。

 

色々なところで聞いてみると、

ほとんどの人が①の領域に意識がある。

現代の日本の社会の中で上手くやっているのであれば、

1−1に意識があるのは社会的に上手くいっている証かもしれない。

 

表面から深部へと入るには、

自己の内面との対峙は必須である。

ここを経ずしてあらゆる物事の深部には到達するはずもない。

自分を主張したい

自分は正義である

承認欲求がある

自分は特別である

前のめり

(またはこれらの反対の現れ)

などなど

これらは表面意識の現れである。

 

そして、おそらく深部に至るまでには、

容認できない感情や思考が横たわっているのだろう。

しかし、ここを開けない限り深部への意識の移行は難しい。

 

自分は「正」でありたいと思う。

YEメソッドでも繰り返し出てくるこれらの片側だけの認識車輪では同じところをぐるぐる回るだけである。

双方の質があることを認識した時、(陰陽・正しい間違っている・善悪etc)

深部への扉が開かれる。

 

また、3−1の領域にいる人は意外にも多い。

位置的にはゴールキーパーペナルティエリアに出ている様な位置感覚で、

守りに入るが為に前に意識を置いている。

私の知る範囲では、援助職の方のエネルギーに多く見受けられる。

仕事時間に限ることができれば良いが、

通常の生活にもこの状態が残ってしまっている。

 

 

 

 

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